物語の背景は原作に従いますが、主人公の命運はその限りでは無し、それや如何に。



アインブロック


揺れが収まると、窓の外を飽かず眺めていた娘は席を立った。

華奢な杖をして、余った手を肩より少し高く振った。

「じゃあね」

それきり、降りる客の列に混ざる。
何か気の利いたひとつも言おうと考えていたけど僕は、機を逸して、曖昧に手を振り返すのが精々で、姿を見送った。

漂った手を降ろす。

空いて終った、隣へと身体を倒した。

飛行船はやがて発つ、僕を載せ日常へと帰す、灰色の髪をした君、その手を取って対峙する悪、想像を忘れ物して。
空気の抜けるような笑いをひとつして、僕は眼を瞑った。

「当船は是より、ジュノーへと、」

伝声管が伝える、何処かで聞いたような声だった。

「向かう予定でしたが、天候不良のため欠航と成ります、お客様にはご迷惑をお掛けしますこと、」

残っていた機関の振動が、尻の下で止んだ。

間も無く、乗務員が廻ってきて僕を降ろした、
小雨の降りしきるアインブロックには、製鉄の街らしく、空港の広い敷地の何処からか、鋲を打つ槌の音が響いていた。


空港を出た僕は、手近に安宿を見付けた。

部屋に通されて、悔いる、
何処からか湿気の這い入ってくる、陰気な部屋だ、照明は弱って黄色く、顔を洗えば蛇口は錆び臭い水を吐いた。

早々に気の滅入った僕は、街に出ようと決めた。

階下へと降りる、
待合を兼ねた広間に人気は無くって、ただ相変わらず無愛想の爺がひとり、受付に構える。

出しなに僕は、片手に在った傘を借りた、宿の銘を切った札が提がっている。

軒を離れて開くと、骨を一本を、欠いていた。


僕は当ても無く、街路を行く。

雨の所為だろうか、街は活気を欠いて見えた、
産業の塵埃にくすんだ街並みに霧雨が降りる、それより流れた雨水を集めて、側溝は灰色の泡の沢山を浮かべる。

飯を出しそうな店が、一軒在った。

入ると、昼には遅い時刻だが、騒がしい、

「畜生、事故が起きてからでは遅いと言うのに、修繕の手も寄越さない、」

「老いた機械の上げる悲鳴が、聞こえないのか、」

「昔は違った、苦しさは変わらないが、俺達は誇りを持って、此処からこそ皆の幸福がと信じて、やって来たのに、」

工員の風情をした数人が、一角を占めて何か不平を零すようだ。

避けて僕は、カウンターの隅に席を求めた。

「お隣、宜しいかな」

品書きを手に考えていると、薄暗い店内の何処からか人影が移って来て、僕に訪ねた。

片手で勧めると、疲れた姿の中年が座った。


「災難だね、この時期にこう降ることは珍しい」

「気侭な身の上です、別に、」

会話からすると彼も飛行船の客だったようだけど、どうだったか、他に気の惹かれる先の在った僕は、思い出せない。

折り良く、皿が運ばれてきて、僕は救われた。

咀嚼を繰り返す僕と、器の酒を舐める隣と、工員らの会話を聴くともなしに聞いている、
段々と疲れて、口数すくなに成る様だった。

「ああ荒れる様だが、彼等とて判って居るんだ、」

「鉄鋼の売り上げは以前ほど芳しく無くて、経営者にも新たな機材を買い入れる余裕の無いことを」

抑えた声で、隣が言った。


「見る物の少ない街だが、土産話をひとつ、如何かな」

僕の皿の片付くのを待って居たらしい、彼は言った、宿に戻るのも気が引けた僕は、案内に預かることにした。

紙幣を伏せると、前後して立った。
表の小雨は止まない、
彼は気にする素振りも無く、歩き出した、その背と片手の傘とを僕は束のま見比べたが、拡げないまま後に従った。


空港の方へと行く。

彼は街の人間の様だが、往来の人々と挨拶をする風では無く、むしろ俯いて足早に行く様である。

その辺りを語ること無く、黙々と行く、
空港の正面を過ぎ、折れる、金網がずっと囲んでいる、雨に霞むまで広い敷地には、関連の建物が幾つか見える。

通用の鉄扉に、彼は足を止めた。

立入禁、と警告が在ったが、彼は何とも無く押した、錠は利いてない様だった。

「変わらないな、」

小さく、彼は呟いた。

「此処の関係の方なのですか」

「昔、な」

答えたく無さそうに、背を向けたまま彼は短く返した。

迷いの無い足取りで、敷地を過ぎる、
高い建物に着いた、表の発着場に向かい吹き抜けの空間が開いて居る、中には飛行船の巨体が幾つか休んでいた。

「私は少し、用事をして来る」

言い残して、男は消えた。

残された僕は視線を廻しながら、行く。

他に混ざって造り掛けの船体が在った、
未だ布地の張らない枠組みを背負って、鯨の骸骨でも見るようで凄みが在った、鯨の本当を僕は知らないが、きっと。

骨格の高く、取り付いて、誰か青白い火花を散らしている。


首が疲れた。

折りしも片手に扉が在った。

別の棟へと続く、押すと意外に重たく、
薄く開いた向こう側から何か低音が鳴っている、短い通路を経た先の暗がりに何か明滅して、僕を招いた。

何だろうか。

不思議な構造が在った、
金属質の、球形の多面体が座っている、床に穿たれた窪みに半身を納めながら、尚も頂上は僕の視線より高く在った。

数本の円環が周囲を廻っている、
所々に灯る黄緑を、交差に併せて隠し明滅を生む、光の中に浮かぶ文字の様なを僕は、深く見入った。

「何者であるか」

背後から、時代がかった誰何の声を浴びた。

我に返れば、堅そうな管理の男が、此方を睨みつける、僕は弁解に困った。

「此処は一般の立ち入りの許される場所には非ず、さては曲者か」

面倒には巻き込まれたくない、わが身を想い出した、
口添えを頼みたい相手は何処に行ったか、何用か、知れない、悟られぬ様に僕は、退路を測った。

「私の客です、そう構えなくて宜しい」

別の声が言った。

主の姿を認めて、管理は居住まいを正し、敬礼を返す、颯爽と去って行った。

「奇遇だね、君」

足音が遠のくと、丁寧な口調に抜け目の無さを隠して言った、以前に知己を得る所の、船長である、弟の方である、
嫌な相手に救われたと、僕は密かに舌を打った。

船長は、壁に沿う配電盤のひとつに腰を持たせかけ、長身の脚を組むと、始めた。

「研究は頓挫し、企業からの技師は引き揚げた、」

「近頃は市内に労働者の不満が高まるとか、残る警備の少なからずが出払っている、留守番も居た様だが」

「家捜しには格好という訳か、」

「にしても、誰が付けた知恵かは、尋ねないのが優しさって物だろうね、君」

不気味に親しげに、微笑んだ。

「乗り合わせが悪くって、想わぬ足止めを喰らっちゃって、雨が怖いとは、腰の引けた船長も居るようでした」

答えて僕も、この上なく笑った。


「あれ、何ですか」

視線を泳がす彼に、僕は話題を変えて、僕は尋ねた。

「兄に、聞かなかったのか、」

「飛行船に動力になる、ルーン機関という装置の、初期のそれさ、企業の連中も流石に、持ち出しに困った様だ」

「街の外れの、鉱山に遺物が出て、」

「その開発の発端であり、この研究所の設立の理由であり、際しては利権を巡る醜聞が在ったとか、」

「その辺りを探りに来たと想ったが、違う様だね」

意外そうに彼は言った。

首を竦めて、僕は応じた。

「さて、あらぬ疑いを被る前に、私は失礼するよ、」

話を切り上げ背を向けた、白の上着が遠ざかる。
僕も、来し方の通路へと足を向ける、
誰もが去った後には、機関の廻る気配だけが残った、忘れられてなお休まないそれを僕は少しだけ、悲しく想った。


外は雨が勢いを増していた、屋根のトタンを叩き、耳を聾する。

水煙の向こうを見ている、独りの姿が在った。

用事は済んだのか。

彼はきっと、此処の技師だったのでは無いか、
僕は想像するけど、その寂しそうな姿が、何の理由が在って過去を訪ね、何を懐かしむのかは、判らない。

「せん越だが、ひとつ頼まれてくれないか」

雨の際に並んだ僕に、彼は言った。

先刻までは見なかった、大判の封筒を僕へと寄越した、大切な物かとも想えたが、構わないのだろうか。

「ひとに、手渡して欲しい」

「明日、待ち合わす手筈に成っているんだ」

僕が手にしたそれは、
薄い、中身は紙片の数枚と知れる、軽いに過ぎなかったが、手にした彼は肩の荷の下りた、楽な表情へと変わった。

それから彼は、時間と場所を教えた。

「詫びの言葉をやっと見付けた、これで懐かしい友人に会いに行ける、」

最後に、そう言った。

技師は雨の中に出て行く、呼び止めて僕は傘を与えた。
初め、彼は辞したが、受け取った。

彼が去って暫くは、驟雨の去ることを僕は待ったが、宵闇の迫る方が早かった。

やがて意を決して、預かった封筒を上着の陰に庇うと、僕は雨の中に駆け出した。



翌日、午前の市街に出向いた。

待合の場は何の変哲ない喫茶店だった、
街路に向けて、テーブルと椅子の幾組かを並べている、そこで互いに気付いて僕ら顔を見合わせた、僕と彼女とは。

封筒を受け取った娘は、中を確かめようともせず、仕舞った。

頬杖を突いて他所を見る彼女に、
僕は顛末を語るけど、聞いているのか、居ないのか、そこに彼女の注文が来た、ストローが二本、並んで立っていた。


「乗るのは、何時の船」

器の底に残った氷を、所在無さそうに突付いていた娘は、急に訊いた。

僕は話を切り上げて、答えた。

「昼過ぎ、かな」

少し早めに、教えた。

「そっか」

飽きっぽく、空になった器を机に返すと、彼女は席を立った。

封筒を入れた鞄を取り上げる、
重くはない様子だが、杖を使いながら持ち歩くには邪魔とも想えたから、僕は幸いと、腰を上げて手を差し出した。

「送ろう」

「要らない」

短く断って、行って終った。

ぽつり残って、僕は思案する、
取り付く島も無いけど、ああ訊いたのは、見送りに来るんだろう、椅子を傾げ見上げた空は、雨上がりの青だった。


宿に帰る途中に、花を並べる車が在った。

先には気にも止めなかったが、
今は足を止めた、財布の軽いことと、柄にも無いことに、逡巡してから、僕は立ち寄った。

悩んで、赤い花にした。

頼むと、店員が切り出して包んだ、新聞紙でとは色気が無いが、花一輪をしては仕方が無いか。

店先を離れ、安堵してから、改めて花の顔を見る、
何か引っ掛かった、
その着るところ、紙面の文字に、視線が辿ったのは小さな見出しの、目を留めるひとは少なそうな、短い記事だった。

「元技師の男性、路上に遺体で」

取るに足らない偶然と、想おうとする、
包みを解いて確かめて尚、認めまいとする、ひしひしと背を上がってくる、不安を焦燥を、僕は聞くまいとする。

彼が刺された。

昨夜の遣り取りに僕は薄々を感じては居たが、何も深刻に想わなかった、
別れ際の、彼の言葉を聞き流した。
そして彼は行為への報復を得て死んだ。

僕は、そうと知っていて資料を受け取ったか、或いは彼の遺志を知りながらそれを拒み得たか、今となっては判らない。

ただ、ひとつ確かなのは、僕は決して、それを彼女に手渡さなかった。

すべて遅い回顧の終着には、
技師を襲った危害は彼女へをも及ぶのでは無いか、嫌な予感のみが首をもたげる、不安と焦燥が、耐え難く、高まる。

僕は駆け出そうとする。

何処へ、

彼女の借りる宿を僕は知らない、君は何処に居るのか、もどかしい、
誰か知らないか、
灰色の髪をして、すこし孤独の心を抱いた娘を、喉元まで上がって来る叫びを僕は、辛うじて堪えた。


残酷にも世界は明るい。

雨の底に在った昨日とは裏腹に、正午に近い街路の賑わいは僕だけを残して、楽しく、笑い合って、僕を裏切った。

その中に名前を呼ばれた、気の所為かとも想ったけど、違った。

「探した、」

振り返ると彼女が居て、すこし怖い顔をして言った、歩み寄るのももどかしく、僕は紙片を示して言った。

「資料を預けた男が、刺された、」

「街の衛兵が人を探してる、貴方らしい人間を、」

眼にも留めず、彼女もまた、語気を強めて何か言った。

「君は知らされているのか、自分の役割の危険なことを、」

「嫌な予感はしたのよ朝あなたの顔を見た時に、案の定これだわ、また要らないお節介を焼いて、本当に面倒ね、」

「事の一端が顕れた以上は、追っ手は君にも掛かるかも知れない、いや必ず掛かる、だから、」

意の伝わらなさに痺れを切らせ、僕は叫んだ、彼女も負けじと。

「聞けよ」

「聞きなさい」

額をつき合わして僕ら、はたと黙った。

気付けば数歩の半径を隔て、流れる往来、集まる奇異の視線、僕を励ますような野次が何処からか飛んだ。

俯くと、娘は踵を返し、垣の破れへと向かう、乱暴に僕の袖を引いて。

手近の路地に引き込まれた、喧騒が遠のく。


休むと、眉間に手をやって聞こえよがしに、溜息をついた。

僕に視線を合わせ、口を開いた、
普段と変わらない冷静を取り戻したようで、しかし何処か苛立ちの残る、声が路地に響いた。

彼女の言葉の中に、自身の借りる宿の名が挙がって、僕は驚く、如何にも例の、肺病みのしそうな、安宿のことだ。

「何処で尻尾を出したか知らないけど、少ない泊まりの中から貴方の名前が挙がるのは、時間の問題よ、」

「お見送りに行く必要は、無さそうね」

皮肉っぽく、締めくくった。

代わりに何か、懐から出して僕にくれた、皮紐の付いた方位磁針と、折り畳まれた紙片は開くと地図だった。

「行き場を失くした人々を休める、小さな村が在るから、」

細い指が辿って教える、
密な等高線の合間を、蛇行する頼りない破線は北へと伸びて、伸びて、集落らしい点群に行き着いた。

傍に辛うじて、村の名前が読み取れる。

「そこまで行けば、或いは何とか、」

そして、彼女は身を引いた。


「私、用事あるから、、先に行ってて、」

眼を伏せ、言うと、背を向けた。

僕は呼び止めようとして、出来なかった、拒絶を聞くのが怖かった、
杖を突いて、脚を曳く姿はひとり遠ざかり、路地の終わりの逆光に溶ける、最後に僕を見たが、表情は判らなかった。


街の北端へと、僕は来て終った。

錆色をした石畳は終わり、砂礫に変わる、半弧に造られた石門が在って、霧の渡る荒野へと路を見送っている。

傍の石に、腰を降ろす、
約束を待ちながら、僕は渡し損ねた赤い花を、指先で転がす、雑な扱いに萎れたそれを僕は寂しく想った。



彼女は来なかった。




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