物語の背景は原作に従いますが、主人公の命運はその限りでは無し、それや如何に。

リヒタルゼン(前編)
僕の属する”組合”は、ルーンミッドガルド国内に於ける運輸と保管を務めとする。
近年は、北の共和国たる、シュバルツバルドとの往来の栄えるに従がって、北方に於ける業務の展開を求められた。
しかしながら、国の違い、或いは諸々の事情あって、効率化は遅々として成され得ない。
「猫の手も借りたい」
現地の担当が、言ったかは知らない。
故にして、僕は再び、飛行船の客と成った、
妙な遣いを任されることなく、今回ばかりは空の路程は事無く過ぎて、船はリヒタルゼンへと降りた。
「ようこそ、貴方の街の、」
組合の窓口に出向くと、受付嬢が笑顔で出迎える、
本国では古風な白黒を着る、
彼女らであるが、当地に在っては異なる、それは確かに近代的に造られた、この街の整った様相に似合う気もする。
何れにせよ、客に非ずと、僕を認めた女は愛想を止めて、奥へと姿を消した。
幾らか待って、寄越された荷物を自身のと代えて、街に出た僕は、東に外れた”地区”へと向かった。
今は赤く錆び付いてしまった。
線路を渡ると、繁栄に取り残されて、貧しい家々が互いに身を寄せ合って並んで在った。
か様な歪みを、街が抱えるに至った理由は、知らない。
表市街の人間は、地区に足を踏み入れることを嫌い、
逆もまた、然りである、
我らが業務の円滑を想うならば、別個に窓を設けるべきだが、展開は自由ならず、対応は間に合っていない。
故に、猫の手はしる、僕である。
粗雑な地図を頼って行く、時には道を訊ねる。
住人の表情は暗い、僕にちらりと視線を向け、逸らす、
居心地の悪さに空を仰げば、路地を跨ぎ張られた綱に、洗濯物が疲れた様子で垂れ下がっている。
地区からの利用は乏しい、やがて荷は減った。
残った薄手の書簡を手に、最後に訪れたのは地区も外れて、一段と寂しく在った。
戸を叩く、間を置いて、若い娘が顔を見せた。
灰色の髪をしている。
「何か」
怪訝の瞳に見つめられ、僕は慌てた。
用件を差し出す、
娘は腕の片方を壁に触れて、体を支えながら、残る手を恐る恐る伸ばす、細い指が茶色の封筒を取った。
不意に、娘は体を強張らせた、表の文字を凝視する、乱暴に封を切った、耳を欠いた紙片が一葉、取り出される。
紙面を辿りながら、娘は徐々に俯いた。
震える手が、封筒を傾ける、
娘の手へと何かが滑り落ちた、古び曇った銀の鎖に下がって、緋色の石を載せたペンダントが揺れる。
両の手を強く、胸の前に抱いた、紙片が撚れて乾いた音を立てる。
「嘘、兄を返して」
娘は不意に顔を上げた、眉間にしわを寄せ強く噛んだ歯を剥いて、叫んだ。
握りしめた手を振り上げ、放す、
紙片が舞った、
肩を預けていた壁を失い、娘は姿勢を崩した、袴の長い裾から露われた脚の細さを、僕は痛々しく想った。
助け起こそうと差し伸べた、手は荒々しく払われた。
「帰って」
「帰ってよ」
僕を見上げる瞳に涙が膨らむ、彼女はそれを躍起になって拭おうとするが、止め処なく。
何を憤るのか、僕には判らない。
ただ、その姿の悲しさに、
僕は言葉を掛けたいと想うけれど、見つからない、
居た堪れなくて僕は背を向けた、娘が何時までそうして居たか、僕は知らない。
路地には、ひと足早い夕暮れが訪れようとして居た。
乾いた風が抜けてゆく、追われるように僕は、表市街へと帰った、そこは灯が燈るがどれも白々として冷たく照らす。
窓口に短く顔を出してから僕は宿に向かう、その途ずっと、娘のことを考えた。
夜、夢を見た。
冷たく平滑な床が、天井の青白い灯を映して続く、歩く裸足の僕は冷たい。
向こうから、車椅子が来た、
看護の女に押されながら、僕と同じ薄手の浅黄を着せられた中年の男が座っている、血色の悪い顔が僕を認めた。
「先に行きます、あちらは随分と良い様ですよ」
男は言ったが、裏腹に焦燥を浮かべ、椅子を立ち上がった。
肩に女が手を掛け、椅子へと落とす、男はもがく様だったが、その侭、運ばれて行った、車輪の軋みが遠ざかる。
部屋と通路が無数に寄り集まって、概ねの知れない空間を拡げていた。
左右の壁は湾曲と屈折を繰り返し、起伏する。
何も、平行ではない。
白衣を着た姿が、小さな茶色の獣を構っている。
鋼の丸籠を、小さな獣は廻すが、
弱った、
白衣は片手から、細く炎を噴いていた装置を取り上げ、籠に寄せた、廻る、廻る、
満足げに笑った白衣は、喜んでその場で軽い跳躍を繰り返す、衣の裾が翻ると、何か硬質の触れ合う音が鳴った。
籠は止まった。
疲れを覚えて僕は休んだ。
想うのは、はにかみ微笑んだ少女の面影を、母とふたり残して来た君は元気だろうか、僕の帰りを待つのだろうか。
僕はまた、歩こうとする。
硝子の器を納めた、棚が続いている。
「これ、私のなんですよ」
うちのひとつに魅入っていた、若い男が誇らし気に言った、濁った液体が黄土色をした姿を浮かべている。
「ああしかし、お腹が空いたなあ」
頬の片方を器に貼り付け、抱き抱えるようにして、男は言った。
冷たく平滑な床が、天井の青白い灯を映して何処までも続いていた。
窓のひとつも無い、今は朝か、暮れか。
何時の間にか、僕は紺色を着た夜警に連れられ、歩いている。
白く引かれた、布の向こう側に呼ばれた。
控えていた医者は、
手元の書類を確かめ幾度と覆し、僕の体の方々を験しては、また書類に戻り、何かを書き加える、最後に言った。
「今迄、御苦労だったね」
私服のもうひとりが現れ、脇の下と膝の裏を支え、僕の身体を持ち上げる。
運ばれて行った隣の部屋には、区画を仕切って広い浴槽のようなが、褐色の液体を湛えている。
僕はそこへと放たれた、消毒の匂いが鼻腔に満ちる。
底の方には誰か大勢がいるようだ、
僕もやがて、彼等の間に沈んで行くのだろう。
意識の醒めるのを静かに待った。
身体を起こした僕は、寝台の背に掛かる上着を探った、
取り出された冷たい感触は、銀の鎖を曳いたペンダント、娘が取り落としたそれを、迂闊にも拾った侭で来て終った。
夢の中で僕は、確かにそれを掛けていた。
明けきらぬ夜の暗がりに、配された石は微かな緋い光を灯すだけで、何も語らない、
この悲しみは、何だろうか。

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