物語の背景は原作に従いますが、主人公の命運はその限りでは無し、それや如何に。

飛行船
イズルードを発った飛行船は、シュバルツバルドの首都、ジュノーへと向かいつつ在る。
眼の高さを、遠く、近く、雲が流れる、
眺めることに飽いた僕は、漫然と甲板を歩き、やがて船首の構造に行き当たった。
足元はそれより高く上がり、行く手を隠している、
段差の側面には一枚の扉が在って半ば開いている、乗員らの詰める操舵室に繋がるらしい、ふと僕は中を窺った。
「客人よ、何か用事かね」
白の外套に緋色の帽子を載せた、他の船員とは違った、如何にも船長然とした姿が振り返った。
此方の気配を感じたらしい、
その彼の眉間から片頬に掛けて、生々しい傷跡が走っていた、僕は思わず息を呑んだ、船長の表情が険しくなる。
「私の顔が、何か可笑しいか」
「失礼だな、全く近頃の若者は礼儀を知らぬ、想ったことを容易に顔に表わす」
客に対する態度では無いが、僕に非が在るのは事実だ、僕は返答に窮した。
「ひ、飛行船は、どうやって動いて居るのですか」
「それは」
窮する余り、僕は心にも無い疑問を発した、受けて船長は何かを答えようとしたが、中途にして煙管を取り出した。
煙の吐呑される時を、僕は黙って過ごす。
初めは何か、柑橘の系の、芳香が漂っていたが、高くは無い天井の部屋に煙は拡がり、それを追い遣ってしまった。
「君、それはだね」
長々と勿体を付けてから、彼は口を開いた。
「我々の一族は代々、この巨大な飛行船を預かって来た」
「それは重い責任で在るが」
「名誉であり、何より、世界の空を巡ることは、何者にも代え難い浪漫なのだよ」
「そして、君の尋ねるところは」
言い掛けて、再び煙管を咥えた。
「それは、一族の間だけの秘密なのだよ、素人が聞いた所で、理解は出来なかろうしな」
「ただし、君がどうしてもと言うのならば、その限りでは無い」
男は傍らの机から、書簡の一通を拾い上げた。
示されたそれを僕が受け取ると、幾らか言葉を添えてから、彼は顔を引きつらせた、当人は笑った心算らしい、けど。
そう言う訳で、僕は遣いを引き受けることに成った。
「シュバルツバルド国内を廻る、我が弟に手紙を」
預かったそれを懐に、僕はジュノーで船を降りる、そして国内線の到着を待った。
船が揚がると、直ぐに僕は乗務員に案内を請うた。
廊下を経て、一室へと通される。
「ようこそ我が飛行船へ、お客様、何か御用事ですか」
良く似た顔が出迎えた、顔に傷の無いことを除けば。
声の調子まで似ているから、参った、
僕は、二の轍は踏むまじ、内心の動揺を隠して、努めて表情を平静に、預かって来た手紙を彼へと差し出した。
「おや、兄からの便りを、これは」
男は慇懃に礼を述べ、受け取った、この辺り、兄とは少し違うらしい。
かさり、紙を伸ばす音が室内に鳴る。
窓の外を見れば既に高い、この大きな船が翔ぶことは確かに不思議かも知れないな、手持ち無沙汰に僕は想った。
「相変わらずの様ですね、兄は」
手紙から視線を上げて、男は言った。
「さて、僕はこれで」
用事は済んだ、席を立とうとする僕を、彼は手で留めた。
「兄がこの手紙を寄越したには、安否を尋ねることも在りますが」
「実は、彼が借りた品を、私に返す為でも在りました」
嫌な予感がする。
「しかし、彼はそれを失くしてしまった様で、そして此処には」
紙面のさる箇所を指して、続ける。
「この手紙を持参する青年が手配する、手筈だ、と」
僕は、首をかしげて、手ぶらを示す、が。
「ひとつは、こう、皮に突起を並べた黄緑色の果実で、もうひとつには、黒い色をした、」
さらば、と、男は品々とやらの説明に掛かる。
口調こそ丁寧で兄と違ったようだが、この人を遣って遠慮のない事はやはり兄弟か、やれやれ、僕は溜息を吐いた。
数日が過ぎた、用事を済ませた、帰路のこと。
御所望の品数点を揃え、国内線の方の、つまり弟の方の、船長を再び訪ねた。
「やあ、持って来て下さいましたか」
男は受け取った彼等を机に並べると、検分に掛かる。
しかし、その右端のは何者ぞや、
黒い石の様だが、表面に目玉のような模様がある、時折ギョロリと、視線を巡らすようだが、気の所為だろうか。
「確かに、品は頂きました」
物言わず睨みあう僕と石とを、間を割って船長が立った。
「これは、その旨を記した書簡です、兄に宜しくお伝え下さい」
寄越された一通を受け取ってから、体よく手紙の返信を運ばされることに成ったと気付いたが、時既に遅かった。
「ご苦労」
返信を、さも当然と受け取ると、顔に傷の、船長は早速に封を開いた。
僕は待つ、動力の音が響いて、刻を数える。
「そうか、恋人が出来たか、だが真の男の無敵の道は、」
低く、何かを呟きながら、
手紙を読んでいた船長は、ふと顔を上げる、所在無く椅子に在った僕を認めると、怪訝な表情を浮かべて言った。
「ん、まだ何か用事が在るのかね」
「この船の仕組みに付いて伺おうと、僕はですね」
ああ、男はさも、忘れていた、という様子をする。
「それは」
「飛行船の飛ぶ原理はだな」
「大型の汽缶で湯を沸かし、生じる蒸気で以ってだな、原動機を廻し」
煙管を取り上げた、深く吸って何かを考える風に留め、長く長く煙を吐いた。
「翔ぶんだ、判ったかね」
「それだけですか」
「それだけさ」
話は済んだ、と、黙々と船長は煙草をくゆらせる。
「あの妙な果物ですか、お味の方は如何でしたか」
一瞬詰まってから、げふっ、煙の塊を吐いた。
「他言は、無用に頼むぞ」
僕は、こくりと頷ずく。
「そう、確かに、蒸気の力だけでこの巨大な船体を翔ばすことは無理だ」
「そこで」
勿体は、もう良いから。
「増幅器を用いる、ルーン機関と呼ばれる、な」
「ルーン機関」
「そうだ、詳しい仕組みは私も知らないが、それを介して動力は増幅され、かくや船を翔ばす」
「ユミ、何と言ったかな」
船長は何かを想い出そうと思案するようだが、駄目らしい。
「その何とかの構造に倣った装置と、聞く」
「そんな」
「当船は間も無く、イズルード港に到着致します、お乗換えの御案内をします、」
伝声管が伝えた、
その休むのを待って、僕は遮られた問いを改めようとするけど、船長がそれを眼で制した、話はこれで終いだ、と。
ルーン機関、か。
急いで荷を纏めると、僕は甲板へと出た、
陽光に眼を細めながら見上げれば、そこには、数枚の羽を集めた翼が轟々と、大気を掻いて廻っていた。

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